寒い日が続きますねー。
おやすみの日は最近朝風呂するのにハマっています、どうも、ctrainerです。
グリズリーズの試合が、コロナウイルス関連の安全衛生プロトコルによる選手の離脱で、8人以上の選手を確保できず、3試合延期になることが決定しました。
対象となるのは1/22のブレイザーズ戦、1/24・1/25のキングスとの2連戦を含めた3試合。
残念ではありますが、ここはしっかりと休養を取って健康に選手たちに過ごしてもらいたいところです。
ということで、今回は試合とは少し違う目線で記事を書いてみようと思います。
この記事では
メンフィス・グリズリーズのフランチャイズの歴史:前編(バンクーバー期1995~2001)
をレポートしていきます。
参考:https://nba.rakuten.co.jp/news/1237
https://www.basketball-reference.com/teams/MEM/
フランチャイズ創設~1年目(15勝67敗)
グリズリーズの歴史は1995年から始まります。
NBAがカナダに新たに2チームを発足させ、一つがトロント・ラプターズ、そして当時バンクーバーを拠点にスタートしたグリズリーズでした。
NBAに限らずプロスポーツでは、新チームが発足された際に拡張ドラフト(エクスパンションドラフト)が行われ、新規参入のチームが極端に弱くならないよう選手分配を行うことがあります。
しかし、向かい入れる側の各チームも「この選手は取っちゃダメ」とプロテクトすることができ、結果的には各チームの主力を引き抜くことはできず。
この年のNBAのエクスパンションドラフトは、8人までのプロテクトが認められていたようで、実質チームのメイン8人から漏れた選手からラプターズとグリズリーズが指名していくという形で行われた。
コイントスによって、ルーキードラフトの高順位指名を選ぶか、エクスパンションドラフトの高順位指名&ロスター+1枠を選ぶことができる状況において、勝ったグリズリーズは前者を選ぶ。
この時行われたドラフトによって、グリズリーズ入りしたのが以下のメンバー。
Pk | Player | From |
2 | Greg Anthony | New York Knicks |
4 | Rodney Dent | Orlando Magic |
6 | Antonio Harvey | Los Angeles Lakers |
8 | Reggie Slater | Denver Nuggets |
10 | Trevor Ruffin | Phoenix Suns |
12 | Derrick Phelps | Sacramento Kings |
14 | Larry Stewart | Washington Bullets |
16 | Kenny Gattison | Charlotte Hornets |
18 | Byron Scott | Indiana Pacers |
20 | Gerald Wilkins | Cleveland Cavaliers |
22 | Benoit Benjamin | New Jersey Nets |
24 | Doug Edwards | Atlanta Hawks |
26 | Blue Edwards | Utah Jazz |
ちなみにこの時の1位指名、グレッグ・アンソニーは今年マジックに加入したルーキー、コール・アンソニーの父。
続いて行われた1995のルーキードラフト、ここで6位の指名権を持っていたグリズリーズは、ブライアント・リーブスを指名。
ちなみに、次の7位でラプターズが指名したデイモン・スタウダマイアーがこの年のルーキー・オブ・ザ・イヤーを獲得。
ルーキーシーズンに平均13点7リバウンドを記録し、オールルーキー2ndチームにも選出されたセブンフッターは、悪い成績ではないものの、周りのサポート多くは受けることができず、チームも15勝67敗と低迷。
グリズリーズの初年度はリーグ最下位からのスタートでした。
ちなみに、この年のグリズリーズのコーチ陣には、後にグリズリーズに長きにわたって携わるライオネル・ホリンズHC(現レイカーズアシスタントコーチ)が初年度から居ます。
2年目~(14勝68敗)
この年にバンクーバー時代のグリズリーズを支えることになるシャリーフ・アブドゥル・ラヒームを全体でドラフト。
1996年のドラフトはその後のNBAを代表するレジェンドプレイヤー達が多くいた年で、その中でもグリズリーズというチームでプレイタイムを多く得て活躍することができ、この年のルーキー・オブ・ザ・イヤーを獲得。
アイバーソン、コービー、ナッシュ、レイアレン、マーブリーと豊作の時代において、ラヒームにとってインパクトを残せたルーキーシーズンでしたが、前年同様チームはリーグ最下位に甘んじる。
3年目~(19勝63敗)
この年は4位でアントニオ・ダニエルズをドラフト指名、2年目のラヒームが成長し、平均得点でリーグ6位と好成績を残す。
この影響もあってか、2年連続で最下位だったオフェンスレーティングが29→15位に向上。
要因は他にもあるかもしれませんが万年最下位だったチームが25位でフィニッシュ。
4年目(8勝42敗)
この1998~99シーズンはロックアウトの影響でシーズンが2月からスタート。
短縮シーズンで流れをつかむことはできず、再び29位に低迷。
この年はマイク・ビビーを全体2位で獲得しチーム2位の得点を上げて貢献、また日本バスケファンにはおなじみのジェラルド・ヘンダーソンこと桜木JRもこの年にグリズリーズに入団。
5年目~(22勝60敗)
この年のドラフトは物議を醸しだしました。
2位で指名されたのはスティーブ・フランシス、のちにオールスタープレイヤーに成長する彼ですが、カナダのチームに指名されグリズリーズでプレイすることをなんと拒否。
結局、トレードを強いられることになり、11人が絡む大型トレードでフランシスはロケッツへ。
中々浮上のきっかけがつかめないでいるグリズリーズは、ライオネル・ホリンズが途中からHCを臨時で引き受けたりと、苦しいシーズンを送ることになり26位でフィニッシュ。
ラヒームがシーズン平均ダブルダブル、ビビーは8.1アシストでリーグ8位と個人での活躍はそれなりに出てきているようなスタッツでした。
6年目~(23勝59敗)
ストロマイル・スウィフトがドラフト2位で入団。
この6年目が2割8分と過去の中で最高成績となりましたが、勝てないことによる人気低迷も影響し営業成績が奮わず。
結局オーナーグループがチームを売却、その後新オーナーがテネシー州メンフィスへの移転を申請し承認。
7年目となる2001~02シーズンからはメンフィス・グリズリーズとなり、バンクーバーでの歴史は6年で幕を閉じました。
前年のホリンズ臨時HCからチームを引き継いだシドニー・ロウHCがその後数年チームを指揮、ホリンズはしばらくコーチ業から離れますが、その後チームに戻ってきます。
最後に
今回の試合じゃないシリーズ、いかがだったでしょうか?
中編~後編と続く予定です。
次回の中編は、メンフィス移転してからの前半をプレイバックしていきます。
今回自分で色々調べてみる中で、新たな発見があったり、懐かしい選手の名前が出てきたりして単純に面白かったです。
どこかのタイミングでもう一方のピックアップチームのホークスもチェックしてみようと思います。
最後まで読んで頂きありがとうございました!!
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