ピックアップグリズ#22番外編~フランチャイズヒストリーVol.2~




トロント・ラプターズの渡邊雄太選手が再びローテーション入りし、プレイタイムをもらい始めています。

クリス・ブーシェイとともに、プレイタイムが伸びてきていますが、このチャンスをものにして欲しいと思います。

どうも、グリズリーズにいた時にこの活躍を見たかったけど、しょうがないかーって思ってる男、ctrainerです。

前回アップしたフランチャイズヒストリーVol.1に続いての、Vol.2となります。

グリズリーズの試合が、コロナウイルス関連の安全衛生プロトコルによる選手の離脱で、8人以上の選手を確保できず、3試合延期になることが決定しました。

対象となるのは1/22のブレイザーズ戦、1/24・1/25のキングスとの2連戦を含めた3試合。

さらに1/25には、この次の1/27のブルズ戦も延期となることを発表。

残念ではありますが、ここはしっかりと休養を取って健康に選手たちに過ごしてもらいたいところです。

ということで、今回は試合とは少し違う目線で記事を書いてみようと思います。

この記事では

メンフィス・グリズリーズのフランチャイズの歴史:中編(メンフィス初期:2001~2011)

をレポートしていきます。

参考:https://www.basketball-reference.com/teams/MEM/

<2001~02>メンフィス移転1年目~(23勝59敗)

メンフィスでの1年目はまずロスターのテコ入れから行われました。

それまでチームの柱となっていたシャリーフ・アブドゥル・ラヒームがホークスへトレード、ホークスの3巡目指名権でパウ・ガソルを獲得。

さらにはマイク・ビビーをキングスへとトレードし、ジェイソン・ウィリアムズが加わりチームが新しく生まれ変わりました。

自前で持っていたドラフト指名権1巡目6位では、シェーン・バティエを獲得、後にNBAでも優秀な成績とインパクトを残したこの3選手が加わるも、チームは大きく飛躍することはできず。

ガソルはその年のルーキー・オブ・ザ・イヤーを獲得、J-Willもアシストでリーグ8位にランクイン、バティエもベンチ出場ながら安定したスタッツを記録し、ガソルとともにオールルーキー1stチームに選出。

チームは23勝59敗でリーグ28位の成績で、移転の初年度は決して順風満帆なスタートを切ることはできませんでした。

<2002~03>2年目~(28勝54敗)

2002年にNBAチャンピオンに輝き、3連覇を達成したロサンゼルス・レイカーズのフロントから、NBAロゴにもなったレジェンド、ジェリー・ウェストをGMとして招き入れ、ここから変革が始まっていく。

シーズン前のドラフトでは4位でドリュー・グッデンを指名、さらに2巡目ではスペインの至宝、ファン・カルロス・ナバーロを指名、またこの年から以前スパーズがドラフトし交渉権を持っていたゴードン・ギリチェックを指名し、グッデンとギリチェックをさっそくシーズン中にトレードし、ここでマイク・ミラーを獲得しています。

さらにこの年はシーズンスタートで8連敗を喫したことで、シドニー・ロウからHCをヒュービー・ブラウンに変える。

後にグリズリーズが強くなっていくためのピースが、ウェスト就任によりどんどん集まってきているシーズンだったんだと後になって調べてみて感じます。

この年は28勝54敗で初めて勝率が3割を超えたシーズンとなり、翌シーズンからこの成長が一気に加速します。

<2003~04>3年目~(50勝32敗) プレイオフ1stラウンド(0-4)

この年のドラフトは、1996年と同様、「class of 2003」と後に称され、レブロン・ジェームズを筆頭にスターが多く生まれたドラフト年となりました。

「class of 2003」のドラフトがもたらしたNBAへの影響

グリズリーズはこの年のドラフト指名権をピストンズにトレードで出していたため、ロッタリーでは2位指名権を得るものの、それはピストンズの手に渡ります。

そのピストンズはこの年にダーコ・ミリチッチを指名、この後に指名されたカーメロ・アンソニーやドウェイン・ウェイド、クリス・ボッシュなどと比べられてしまうことが多かったものの、NBAチャンピオンに輝く。

グリズリーズが1位指名権をここで獲得ができていれば、ピストンズに指名権は渡らず、しかもレブロンの指名ができていた。

指名権をトレードしていなければミリチッチがグリズリーズにいて、ピストンズが誰を指名していたか。

ピストンズのこの時の優勝メンバーであるベン・ウォーレスは、カーメロ自身がもし2位でピストンズに入っていればチャンピオンリングを獲得できていたという発言に対して、「ケミストリー的にマッチしなかったと思う」的な発言をしていたため、指名がズレていればピストンズの優勝もなかったかもしれません。

後半の話は半分以上は妄想にはなりますが、こういった指名やトレード一つが大きく運命を左右する可能性があり、グリズリーズは別の形でその運命を大きく変えることができました。

この年はドラフトよりもトレードやFAでの補強が目立ち、ジェームズ・ポージーやボー・アウトローなどロールプレイヤーを多く獲得。

個人的な記憶ですが、このブラウン体制のグリズリーズのローテーションは7~8人ではなく、スターターとベンチをすべて入れ替えるような布陣で臨んでいたような気がします。

まだNBA見始めたばかりの私にとっては斬新な戦術を取っていたなと、中学生くらいの時にDUNKSHOOTで読んで印象的だった気がします。

ヒュービー・ブラウンは、この年のコーチ・オブ・ザ・イヤーを獲得、GMのジェリー・ウエストもエグゼクティブ・オブ・ザ・イヤーを獲得しグリズリーズにとっては飛躍のシーズンに。

そしてこの年に初めてウェストを50勝32敗の6位でフィニッシュ、初めてのプレイオフは3位シードのスパーズを前にして4連敗とほろ苦いプレイオフデビューとなりました。

<2004~05>4年目(45勝37敗) プレイオフ1stラウンド(0-4)

このシーズンからグリズリーズは現在のロゴ、ユニフォーム、チームカラーに変更されました。

またこの年にディビジョンの再編成が行われ、グリズリーズはサウスウェスト・ディビジョンに分類され、スパーズやマブズなどの当時のプレイオフチームとの対戦が多くなるという煽りを受けてしまう。

さらにプラスして、シーズンの序盤にヒュービー・ブラウンが健康上の都合により退任。

ライオネル・ホリンズが継投したのちに、マイク・フラテロがHCに就任するという落ち着かないシーズンとなってしまった。

結果的には45勝37敗という成績でプレイオフには何とか滑り込み、第1シードのサンズ相手にまたしても1勝もできずにスイープを食らってしまう。

チーム創設初期に比べれば悪くない結果に見えますが、前年と同じ終わり方になってしまったことでグリズリーズは次のステップアップとしてプレイオフで1勝、そして1stラウンド突破が直近の最重要課題になっていきました。

<2005~06>5年目(49勝33敗) プレイオフ1stラウンド(0-4)

フラテロ体制でシーズンスタートをしたこの年のグリズリーズは、ウイングにベテランのエディ・ジョーンズやボビー・ジャクソンを補強し、シーズンを通じての成績は49勝33敗のウェスト5位。

悪くないシードでしたが、プレイオフではこの年にファイナルまで進出するマブズにまたしても4連敗を喫し、ここまでチーム通算のプレイオフ成績は0-12。

この年を最後にグリズリーズは再び下位に低迷し、プレイオフ進出自体から遠ざかってしまいます。

<2006~07>6年目(22勝60敗) 

この年のドラフトではシェーン・バティエを放出しルディ・ゲイの指名権を獲得したり、カイル・ラウリーを指名したり、ストロマイル・スイフトを呼び戻したりと積極的に動いたグリズリーズ。

しかし、序盤を6勝24敗と大きく負け越してしまったことで、フラテロは解任、後任にはトニー・バローネがアシスタントから昇格し暫定的に指揮を執るものの、成績は上向かずに22勝でシーズンを終える。

3年連続で出場していたプレイオフを逃し、待望のポストシーズン初勝利はお預けとなった。

<2007~08>7年目(22勝60敗) 

マーク・イアバローニがHCに就任したこのシーズン、ドラフトではこの年にマイク・コンリーを指名し、ルディ・ゲイが台頭してきたり、以前に交渉権を持っていたスペインのファン・カルロス・ナバーロも1年プレイ。

しかしこの年の大きなトピックは、レイカーズに対してグリズリーズがエースのガソルをトレードしたこと。

レイカーズから弟のマルク・ガソルの指名権が送られてくるという非常に複雑なトレードが決行され、これを機にレイカーズはNBA Finalsに進出、この後に2連覇も達成することになります。

今、2021年時点で考えるとそのマルクもめぐりめぐって現在レイカーズに所属しているというのも、また時の流れを感じさせます。

シーズンの方は、そういったロスターの大きな変動などもあり、なかなか調子が上がらずに前年と同じ成績でプレイオフは2年連続でミスすることになります。

<2008~09>8年目(24勝58敗) 

この年のドラフトは5位でケビン・ラブを指名するものの、ウルブズとのトレードで3位のOJ・メイヨがチームに加わります。

この年はHCが2回変わり、最終的には再びホリンズがチーム指揮を執る形に。

年々メインローテーションの選手が若くなっていることで、ここにあともう一人二人入ってくれば良いというようなタンク気味なシーズンだったのかなと感じる動きでした。

ちなみにこの年のチームサラリー最高額は、トレードで加入したアントワン・ウォーカー。

シーズン前にバイアウトされ、このサラリーの空きを利用し翌シーズン、あの選手が加わります。

<2009~10>9年目(40勝42敗) 

この年に加入した重要な選手はそう、アイバーソンではなく(晩年のアイバーソンは3試合だけグリズリーズでプレイしその後ウェイブされています)、ザック・ランドルフがクリッパーズから加入。

20.8点、11.7リバウンドのダブルダブルで安定した活躍を見せるランドルフとゲイ、ガソル、メイヨ、コンリーと2桁得点を取るプレイヤーが増えてオフェンスが大幅に改善。

シーズン成績も40勝42敗でプレーオフ進出を惜しくも逃してしまうものの、明らかなステップアップシーズンとなりました。

ちなみにこの年のウェスタンカンファレンスは9位のロケッツが42勝40敗、8位でプレイオフに入ったサンダーが50勝32敗と非常にレベルの高いシーズンでした。

<2010~11>10年目(46勝36敗) プレイオフ セミファイナル(3-4)

セルティックスで優勝経験を持つトニー・アレンが加入し、激戦のウェストを前年よりも10勝上乗せすることに成功。

この年からアレンはオールディフェンシブチームに連続で選出、ランドルフがオールスターに選出される活躍を見せ、ディフェンスで泥臭く、粘り強く相手と闘うスタイルは後にトニー・アレンのインタビューから引用されて、「grit and grind」というグリズリーズを体現するスローガン、キャッチコピーになった。

このチームの泥臭さ、粘り強さはその年のプレイオフ第1シードであるスパーズをも飲み込み、第8シードが第1シードを破るアップセットを演出。

フランチャイズ創設から初めてカンファレンス・セミ・ファイナルに進出し、ここで惜しくも3-4でサンダーに破れる。

悔しい敗戦を喫したものの、コアメンバーの揃ったグリズリーズがここからどのように戦っていくかは、後編に続く。

最後に

いかがでしたでしょうか?

当初は3試合の延期だったので前編・中編・後編とするつもりでしたが、さらに延期したため、また何か別の角度で見てみようかなと思っております。

これについて書いて欲しい!!などありましたらぜひリクエストください。

詳しくない部分についても全力リサーチで記事にしてみたいと思います。

最後まで読んで頂きありがとうございました!!
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